英語能力評価のあるべき姿

英語能力評価を見直そう(Clothes Make the Man.)

© Michihiro Hirai 2004 – 2009

“Clothes make the man” という英語の諺がある。「馬子にも衣装」とか「男は服装で決まる」と訳されることが多い。しかし見方を変えると、「人間は、着ている服で考え方も変わって くる」、ひいては「ある環境や生活習慣に長いこと浸っていると、知らないうちに、そこの考え方に染まってしまう」という意味にもなる。Aという学校の制服 を着ているうちに、いつの間にか典型的なA校生になっていた、という例も多い。同じことが、英語の学習についても言えるのではないか。読解と聞き取り、す なわち受信型能力しか測れない試験のための勉強ばかりしていると、読解と聞き取りはある程度できるが、話したり書いたりすることはからきしダメ、という人 間ばかりができてしまうであろう。

2002年に文部科学省が発表した「英語が使える日本人の育成のための戦略構想」は、読んだり聞いたりするだけでなく、話したり書いたりして自分の考えを 英語で伝えるコミュニケーション能力の重要性を強調した点で、大いに評価できる。低学年から外国人の先生に触れることで、英語で話すことを苦にしなくなる 若者が増えることも期待できよう。その一方で、社会一般が、教育界でのこうした動きに追随できていないように思える。特に、企業内英会話教育熱の衰退と、 受信型能力試験への偏った依存という、2つの傾向が気にかかる。

ここ十数年、社内英会話教室を中止したり縮小したりする会社が増えている。長びく不況で、教育投資が格好のリストラ対象となるのであろう。「教育は社員の 自己責任」という考え方も拡がっているようである。しかし、読む・聞くに比べて話す・書くという能力は、独学で伸ばすことが難しい。高度成長から80年代 にかけて国際的に伸びた企業を支えた一つの柱が、社内の英会話教室ではなかったか。

日本には現在、英語能力検定試験が50種類以上もあるが、実業界では、「読む・聞く」という受信型能力だけを測る特定の試験が広く採用されている。しか し、100メートル走のタイムで柔道や水泳の実力を評価できないのと同じで、受信型能力試験では、「話す・書く」というコミュニケーション能力は測れな い。そうした試験で高得点を得ることに血道をあげる風潮が見られるのは、悩ましい限りである。特定の試験だけを目標にすると、その試験の出題範囲しか勉強 しなくなる。そうして2、3年も経つと、「読む・聞く」はある程度上達したが、話すことも書くこともままならない、という非常に偏った人間ができてしまう のだ。まさに “Clothes make the man” である。

まとめとして、企業や団体の幹部および教育関係者に、「読む・聞く」能力に偏ることなく、「話す・書く」能力も重視すること、およびその一環として、「話 す・書く」能力も十分評価する方法(試験)を採用することを提言したい。そのような環境(clothes)を整えることによって初めて、真に英語を使いこ なせる人材が育つのである。また、一般の英語学習者も、受信型試験での好成績取得はあくまでも中間的な手段であることを認識し、英語でコミュニケーション できるようになる、という本来の目的を見失わないようにしたいものである。